老舗風土記 第一回
★本物づくりへの情熱★
★戦時中、桐たんす業者の間で次のような会話が行われた。
「2、3日お顔を見ませんでしたが、ご旅行で」
「旅行ではないが、ちょっと留守にしました」
「さようですか。で・・なに用でしたか」
「野暮用です。警察にひと晩泊められてきましたよ」
「といいますと、例の1件で」
「そうです」
「それはご苦労様でした。ほかのことなら兎も角、
例の一件なら、自慢にこそなれ決して恥にはなりません」
例の一件とはなんのことだろう。
桐材は湿気を防ぐ特質があるので、箪笥、長持ちなど収納箱に利用される。
軽くて木目が美しく、木肌がソフトだから、
実用品であると同時に工芸的な価値も生じ、
贅沢品ということになっている。
戦時中、贅沢は敵だった。欲しがりません勝つまでは・・である。
当局から箪笥業界に御達しが合った。
「桐箪笥のような高級品は、当分の間、製造を禁止すべし。
業界は企業合同して、戦争遂行に必要な木材容器の生産を行うべし・・云々」
必要があって、どうしても箪笥を作らなければならない時は、
桐板は前の部分だけとし、あとは杉その他の木材を利用した。
金属は貴重な軍需物資であったから、
引き手は金具の替わりに鯨のヒゲを使った。苦肉の策である。
「見た目は金属ですが、本当は違うのでございます。
取り扱いは慎重にして下さい」
ということで納品し、慎重に扱ってもらったが異変が起きた。
引き手をネズミに食われてしまったのである。
腕に自信のある箪笥業者は、おっつけ細工の仕事では飽き足らなかった。
腕のいい人ほど本物思考は強い。
「使わないと腕がナマっていけない」
てな理由づけをして、こっそりと上等の桐箪笥を作った。
それが当局に知れると、警察にご用となる。
一晩泊められ、厳重説諭されて放免という次第。
桐箪笥の名門「相徳」 港区高輪3-24-16 井上雅史代表取締役
の先々代も、三田警察署に泊められた組である。
当局の目を盗んでまでも、本物を作りたいという情熱が、禁を犯したことであり、
留置は不名誉どころか、腕のよさと心意気を示す勲章だった・・というのが、
業界今日の評価であるらしい。
(文 もりた なるお)
老舗風土記 産経新聞 平成3年 1991年 6月18日
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文章には いくつか誇張があります。
昭和14年には奢侈品の統制令が施工され
桐箪笥も一定以上の商品に対しての規制が加えられましたが
桐たんすの製造が止められたわけではありません。
総桐のたんすも製造が行われておりました。
金具が鯨にというのは
戦争も末期 いよいよ物資が枯渇してきてからのことです
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