桐たんす 相徳(あいとく) 桐箪笥一筋 

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老舗風土記 第四回


★高級品に託す父の心★

桐の箪笥には、父親の惜別の情がこもっている・・・
と相徳のオーナーは語る。

箪笥店には、桐箪笥の削り直し注文が来る。
その注文主の中には、戦後に才覚を発揮して、
財と地位を築いた人もいて、たいそう立派な桐箪笥を所有している。

問わず語りに聞かされるのは「家内が嫁入りの時に持参した」
ということである。
お嫁さんの実家は、敗戦で身代かぎりとなった。
もとお金持ちか、あるいは元華族階級である。
世が世であるならばと、花嫁ごりょうは泣く泣くお輿入れするわけだが、
大いに気張って、上等の桐箪笥を嫁入り道具とする。
たぶんそれは、花嫁生家の家格を示そうとする、
父親の気持ちが込められているのだ・・と 
たいていの箪笥業者は感じるそうである。

「故あって娘を嫁がせるが、そんじょそこらのものでないことを、
この桐箪笥を見るたびに思い出してもらいたい」
という含みを持たせて、婚家に運び込まれる場合もあるらしい。

親が知らないうちに、娘に恋人が出来た。
娘はまず母親にうちあける。
母親からそれを聞いた父親は、内心えらい衝撃を受ける。
娘可愛さのあまり、相手の青年(青年とばかりは限らないか)が 
わけもなく憎らしくなるという。
父親の感情がどうであれ、既成事実はどんどん進行する。
婚約が成立する。

箪笥の見立てには、母と娘をともなって父親もくる。
ここで父親は再び感情が高ぶる。不愉快になるらしい。
母娘はいまや、婚礼の情景のみ夢見て、有頂天であるが、
父親は出費のことが俄かによみがえってくるのだ。

可愛い娘を持っていかれる上に、
高価な桐箪笥までつけてやらなければならないのは、
なんとも腑に落ちない気分である。
母娘の目は、高価なほうにばかりいっている。
思い余った父親は、安値の箪笥を主張する。
だがそのうちに考えが変わるのである。
「安い品を持たせたら、娘はみじめな思いをするのではないか。
一生に一度のことであるから、気張って上等の桐箪笥を持たせてやろう。
それが親の自愛というものだ」
父親のこころ変わりがいいのか悪いのか、娘を持たぬわたしはわからない。わかるの
は次のようなことである。

上等の桐箪笥には、上等の桐材が使用される。
上等の桐材は、年輪が正確に刻まれている。
年輪の正確さは、幾樹の期間に天災や人災のなかった証拠である。
良質の桐を育てるには 年年歳歳日々是好日でなければならないそうだ。
つまり上質の桐でできた箪笥には、父親の思いとともに、
平穏無事な歳月が刻まれているということである。
かといって、廉価がすべて悪いということではありませんぞ。
         (文 もりた なるお)

 
                  (文 もりた なるお)
   老舗風土記 産経新聞 平成3年 1991年 6月21日 ★




いくつかのエピソードが 一緒に語られています。
井上が ワァーと しゃべったのをひとつに纏め上げるのも
プロの技と言うものでしょう。

それぞれに説明を加えていくと 
それぞれが充分に一回分ぐらいになるので
今回は 最後の部分だけ取り上げておきます。

会津では お茶を出されるときには
お盆にのってでてくるわけですが
そのお盆に桐の輪切りにしたものを使います。
お盆は そのうちで切った桐の木を使うわけで
年輪が きれいにそろっているをもって良しとします。

木は正直ですから 手入れをすれば育ち
サボれば育ちません。
家に病人が出たり いろいろ事情があれば育ちが悪くなり 
お金が入用で早く育たないかと思えば 肥料を多くやり
その年だけ育ちがよくなります。

年年歳歳 平常心 同じ気持ちを持って
愛情をもって木に接すること
このことが大事なこと

この気持ちが現れているのが 桐のお盆で
家族も 客人も お盆をみて
今までの年月に思いをはせるのです。

同じ間隔できれいにそろった年輪は
家族にとって何物にもかえがたい自慢の逸品です。
その間 何事もなかったわけでは決してないでしょう
それでも 家族がしっかりと団結してことにあたってきたことの証です。


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